2013年01月17日

我が家にとっての1月17日

今日1月17日は阪神大震災の日。
多くの方にとってこう記憶されているでしょう。あれから18年。

でも我が家ではちょっと違います。
22年前の1月17日、それは長女の誕生日。そしてもう一つ、湾岸戦争の勃発した日でもあります。


1990年の暮れ、アメリカとイラクの間で緊張か高まっていました。
アメリカはイラクに対し、1月15日をクウェートからの撤退期限として忠告。

この日を過ぎたらアメリカは武力行使に出るのだろうか?
戦争がはじまるのだろうか?
日本のメディアは懐疑的な報道が多かったような気がします。
でも過去の歴史やテロへの対応などを見ればアメリカは動くのではないか、まさかその日に、なんてことはないよね。そんな風に話していました。

そして問題の1月15日がすぎました。
一方我が家では第一子が誕生予定日を過ぎてもまだ生まれない。


1月17日午前8時過ぎ、『産まれた!』の報が届き、私は仕事を中抜けさせてもらい病院へ向かいました。
そしてその車中、ラジオから湾岸戦争勃発のニュースがながれてきました。
これからどんな世の中になるのか、子どもの将来ってどんな時代になるのか、
とても不安な気持ちが湧き上がってきたのを覚えています。
『忘れられない日になる』
そう思いつつ車を走らせる胸中は、喜びよりも不安の方が占めていました。
あのときの情景は今でも眼に浮かびます。


日本に春が近づいてくる頃、戦争は終結へ動き出し、一抹の不安を残しつつもニュース報道も落ち着きを取り戻し始めます。

その1年後には新居にて私の両親と同居を始めるなど我が家にとってはとても大切な時期でした。

そして長女誕生から5年後、1995年1月17日、阪神大震災が起きたのです。

テレビでは毎日被災地からの生々しい報道が流れ、幼い長女はその画面に釘付け。
ちょっとまづいかな?とは思ったものの、特に見せないようにしたりはしなかったのですが、
ある日長女が聞いてきたのです。

「うちは大丈夫?あんなふうにならない?」

『しまった!』と思いました。


そしてその危惧が現実となるのです。
震災からしばらくしたある日、静岡市で震度4の地震が起きました。

私はその時長女と一緒に居たのですが、その瞬間パニックになったように泣き叫びながらこう言ったのです。
「おうちがこわれちゃう!」

幼い長女はテレビによってPTSDになっていました。
局地的な地震で時間も短かく体感できる余震もなかったので助かりましたが、数日間は何度も聞いてくるのです。
「うちは大丈夫?」と。

長女にとっては、誕生日に「湾岸戦争」が起き、また「阪神大震災」とその前年にはカリフォルニアで大地震がおきており、自分の誕生日に対する何か特別な意味のようなものを感じながら成長したようです。


この春長女は大学を卒業し社会へ出ます。
娘が選んだ仕事は看護士。
「お母さんの仕事をみてるからね。」皆にそういわれますが、
実は上記のような経験も影響しているかもしれない、と書きながら思いました。

1月17日、この日は我が家にとって、色々な思いの交錯するとても意味のある日なのです。

我が家にとっての1月17日
左:生まれて間もない長女、右:1年

(記 2013年1月17日)

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Posted by ◎×おやじ at 23:34│Comments(0)家庭の風景
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