2016年07月23日

リッスンを観て、その2

15年くらい前、少しだけ手話を習ったことがある。
その時手話で音楽をと『桜坂/福山雅治』の歌詞を手話で謳った。

手話は手だけでなく、顔の表情も含め体全体で表現して!と教わった。

感情をあえて表現する、
子供の頃の父の教えに反することだけど、
思い切って表情を作った。

いまそれは自分の人生を楽しくしてくれている。

そんなことを思い、思い出し、幾つかの手話表現も思い出して、
もしあの時続けていたらどんなふうにこの映画を見たんだろう?
などとも考えながら観た無音の一時間。


上映終了後も音を出してはいけないような、いや、音を聴きたくないような、不思議な感覚。

音が無くてもいい、とは言わないけど、
たまには音が無い、せめて自然の環境音だけの時を過ごすのもいいんじゃない?

映像をみていて思ったのは、
彼らは肌で、たとえば腕の皮膚の上を通り抜けていく風に音を感じてるんだろうなぁ、という事。

もし、余分な音のない日を過ごしたら、
そこからまた、いままでと違う季節、季節感を経験できるかもしれないな。
せめて季節の使って移り変わりには、身近な樹々草花に敏感でいたいね。

そんな事も思いながら、
なにか少しでもまた暮らし方を変えられたら、より面白い発見があるだろね。
さて、何を変えられるかな?

※映画リッスンを観て、その2

古いテキストと資料が少し、出てきました。




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Posted by ◎×おやじ at 06:09│Comments(0)時事雑感
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